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踏ミ出シタソノ足ハ改

踏ミ出シタソノ足ハ改<第五話>

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〈5〉



 中学のあの日からしばらく、何もかもが狂ってしまったような気がしていた時期がある。
 いままで楽しんでやっていた全てのことが突然重荷になり、モチベーションは上がらず、自分が何をしたいのかもわからない。なにのために行動して、何を楽しいと思って、どうやって生きていくのか。
 そんなことが不透明すぎて、けれど時間が解決してくれる問題にも思えなくて、ただただ憂鬱だった。行動に移せない自分が歯がゆかった。
 なによりも、本当に、私自身が心から楽しいと思えることがなかった。いや、なくなってしまった。
 けれど何かはしなければならず勉強をして、いまの高校に進学した。
 そしてその年、

 ――私は、啓に出会った。

 啓は、クラスの中では目立たない、いわば地味な女子だった。
 いつも教室の隅で本を呼んでいて、クールな表情を崩さない。しゃべることが少ないからか、友達も少ないように見えた。
 けれど、いくつかの簡単なきっかけを経て、すこしずつ話す間柄になると、啓という人間の途方もない面白さ、凄さに私は圧倒された。クールな中に潜んでいる、熱い情熱。常に一本筋の通っている物言い。考え方。夢に向かって着実に一日を過ごしていっている、生き様。
 大げさかもしれないが、それらの全てが私にとってはまぶしく、憧れに近いものだった。
 啓はとても変なヤツでもあった。いろんな本を読みこなし、どうでも良い知識をポロッと口にする。おしゃべりだったり、ダンマリだったり、一日ごとのテンションの上下が激しく、外見からは中々わからないその動きもやがて、朝学校に来て一目で判断できるようになった。
「啓は、凄いね」
 それが、私が啓と一緒にいる時の口癖だった。
 本心からの言葉だった。狂った日常を何一つ元に戻せない自分と比べて、なんて凄い人間なんだろう。そう思っていた。
 私がそう口にするたびに、啓はただ黙って私のことを見た。
 それは、照れ隠しなのだと、ずっと思っていた。
 ――そういえば、朝日を見ることを進めてくれたのも、啓だった。
 ある日の昼休みに、突然、
「アサヒって見たことある?」
 一瞬、新聞のことかと思った。
「アサヒ、ってどの朝日?」
「のぼるヤツ。――朝日。すごく、綺麗なんだって。ちょうど啓の家の近くのサイクリングロードあたりからだったら見やすいんじゃない」
 そして、いつ用意したのか明日の日の出の時刻をメモした紙を、手渡してきた。啓に言われると、なんだか行かなくてはいけないような気がして、早速次の日、寝起きの目をこすりながら、朝日を見に行った。
 その時の感動は、よく覚えている。
 なにか、心の底にあるモヤモヤが、すべて光で洗い流されていく。そんな気分だった。
 それが私の朝の習慣を始める切っ掛けで、それ以来少しずつ狂っていた日常が元に戻り始めた。相変わらず目標もなにもないものの、それでもいい、そう思うようになった。
 新しい交友関係も少しずつ出来ていった。
 しかしその一方で、私と啓の関係はどんどんと近いようで遠いものへとなっていったのだった。
 どこか、落ち着きすぎて、お互いに深いところまで突っ込まない、そんな関係に。

          ■□■

「――啓は凄いね」
 私はそう言った。
 駅のロータリーのベンチに座って、まだ十分ほどある電車の時間を待っていた。本格的な夏が近づいていていることを予感させるかのように、湿気をたっぷり含んだ風が時折吹きつけてきている。発達した入道雲を下に見ながらすごい勢いで通りすぎる綿雲が、太陽の光をたったいま遮ったところだった。
「どんどんと、自分の夢に向かって進んでてさ」
 すぐにそう続けた。
 なぜなら、啓はこう言ったのだから。

 ――私、学校休む。

 と。
 それから、まるで準備してきたかのように淡々と説明してくれた。
 啓の夢は介護関係の道に進むことだ。そのきっかけは、啓が昔に曾祖母の介護を体験したことで「ありがちだけどね」と本人は笑っていた。
 ちょうど、まとまった期間で実習を出来る場所を見つけたのだという。そこに行くために、親を説き伏せ、教師と話をして、これから三ヶ月間学校を休む。
 そう言ったその目には、初めて夢を語ってくれた時と同じ光が宿っていた。
 啓は、自分の夢に向かって、着実に一歩を踏み出している。
 未来を見つめている。
 そんな友だちの門出のはずなのに、泣いてしまいそうなのはなぜだろう。
 一歩を踏み出した友人の姿に感動したから? そんな単純な理由じゃない。

 私は――みじめな私自身に泣きそうだった。

「啓は凄いね」
 私はそう繰り返した。
 顔が自然と下を向いた。手がふるえる。視界が霞む。お願い、何も言わないで。そう必死に願った。いま、なにか言葉をかけられたら、私は自分の感情を抑えられる自信がなかった。
 自分の中に眠っていた――いや、ずっと前から気づいていたのに見ないふりをしていた、感情。それが迸ってしまいそうで、怖かった。けれど、啓はそれらすべてを分かっているかのように、はっきりとその言葉を口にした。
「紗綾もこれからだよ。頑張って」
「これからなんてないよ」
 噛み締めた歯の奥から、言葉が漏れた。
「啓はそうやって、どんどんと前へ進んでいくけど、私は一歩も前に進めない。いつも、いつも置いて行かれるだけで――」
 いつから、前に進めなくなったのだろう。
 あの演劇が終わってからだ。
 私はあの時から、自分の足を見失ってしまった。

 ――変わりたい。

 突如として心の底から、そんな言葉の奔流が起こった。ずっとこの二年間、心の中で眠っていた思いだった。私が抑え込み続けていた思いだった。
 変わりたい。
 成長したい。
 その為の一歩を踏み出したい。
 私は顔を上げた。
 啓は、そこにいた。
「たぶん――もう明日から、学校には来ないよ」
 ためらいがちに啓が言う。
「うん」
 私には、そう答えることしかできなかった。
 しばらくの沈黙があった。
 太陽が雲の隙間から顔を出し、目に入るいろんなところが、太陽の光を反射して輝きはじめる。 
「それじゃ、電車の時間だから」 
 しばらくして、啓がそう言った。
「うん」
 私は、やっぱりそうとしか答えられなかった。
 啓が膝の上の通学カバンを取り上げ、さっと立った。私もそれに習う。啓がくるりと振り返り歩き出す。
 啓の姿が、駅の改札を抜けてホームに消えていくのを最後まで見つめ、私も駅に背を向け歩き出した。
『変わりたい』
 そう叫び続ける声は、止むどころか、強くなってきていた。

          ■□■

 足は自然と、カフェ綺月の方に向いていた。そこで、起こったことをマスターに話して、ゆっくりと考えよう。がらんがらんと鳴るカウベルの下をくぐって中にはいると、マスターがやあ、と手を上げた。今日も客はいなかった。
 定席になっているカウンターの一席に腰をかけ、マスターに起こったことを全て説明した。中学の頃に似合ったことから演劇に対して苦手意識を持っていること、今日啓と話したこと、気づいた自分のこと。一気に話し終わってなにかがいつもと違うと思ったら、マスターが合いの手を入れていなかったのだ。目がかつて見たことがないほどに鋭く、細くなっている。
「どうやったら、前に進んでいけるのかな」
 そのまま流れで聞くと、
「自分が一番向き合わなくてはいけないものがなにか、考えてみたら」
 と返ってきた。
 そのことは分かっていた。考えるまでもない。けれど、それを思い出すと本当に嫌になる。記憶が生々しすぎる。せめて高校を卒業するまでは向かい合いたくなかった。
 私が躊躇しているのを、マスターはじっと見つめていた。それは責めている視線ではなかった。やさしくはない、けれどどこか安心感のある視線だった。
「できれば……その、演劇のことは置いておいて、もっと小さなことから始めていけたらと思う」
 言ってから、どうやって誤魔化せるかを考えていた自分に気づき、恥ずかしくなる。
 私の言葉に対して、マスターは何も返さなかった。ただ、黙って見つめてくる。天窓から覗く空が、一瞬陰り、また明るくなった時マスターが口を開いた。
「さっき会ったっていう友達は、紗綾になんて言ったの?」
 言われると分かっていたけれど、言われたくない言葉だった。
 ――これからだよ、頑張れ。
 啓にはそう言われたのだ。
 これからでも、やれることは残されているのだろうか。
「――二歩目を踏み出せないのは、一歩目をきちんと踏み出していないからだよ。中学生の時の体験で、紗綾は最後の最後の一歩を踏み出しきれなかった。それでも、そのことと向き合おうとしていないから、一歩目も二歩目も見えないんだよ」
 足を見失ったんじゃなくて、足を見ようとしなくなったんだよ、とマスターは言った。
「紗綾にとってこれからできることは、中途半端な一歩を引っ込めるか、それともしっかり踏み下ろすこと。どちらも選べないなら、結局いまのままずっと変わらないでいることになるよ。
 中途半端な一歩と向き合えるチャンスがいま、目の前にある。中学の時にやり残したことを、もしかしたら挽回できるかもしれないチャンスが目の前に転がってる。
 ――それを掴もうとするかどうか決めるのは、最後には紗綾自身だけどね」
 マスターはそこまで言って、口を閉じた。
 私はマスターの言った言葉を頭の中でなんども繰り返していた。いくら噛み締めても、頭で分かっていても、演劇に参加するために飛び出すちょっとした弾みが足りなかった。いや、自分で踏み出さなくては。人に背中を押してもらってはいけない。
 中々踏ん切りがつかない。自分の優柔不断さが、歯がゆくなった。
「あ、これだけは伝えておきたいんだけど」
 そうマスターが言いかけた時、
 ――がらん。
 突然カウベルがなった。新しい客だろうか。めったに客が来ないこの店でも、時折ほかの客が入ってくることはある。そういう時には、私は話を切り上げて帰ることにしていた。しかしこの状況で帰るべきかどうするか迷っていると、
「お、久しぶり」
 とマスターの声が聞こえた。
(久しぶり?)
 そこに含まれていた親しそうな響きに、思わず振り返ると、そこには飯岡がいた。
「久しぶり、叔父さん」
 飯岡は手を上げたまま、私に気づいて固まった。
「叔父ぃ――っ!」
 私は絶叫した。

「どういうことなんですか、マスター?」
 私はさっきまでの流れを無視して、マスターに詰め寄った。
「どうもこうも、その通りなだけだよ」
 マスターは平然と答える。
 この女か男かわからない人が実は男だったのだと思うと、むしろ実感がわかなかった。
「男?」
 そう口に出してから、失礼だったと思い、
「――だったんですか?」と付け足す。
「うん」
「なんで?」
「いや、なんでって言われても……」
 そんな会話を交わす私達を、飯岡は困惑した表情で見つめていた。なにがあったのか読み取ろうとしているように見える。
 マスターがぽんと、手を打って言う。
「あ、さっきの続きなんだけど」
 とっさに思い出せず視線を上に逸らすと、
「これだけは伝えておきたいこと」
 と前置きしてマスターは続けた。
「自分が正しいと思うことを選択することは、ぜんぜん間違いじゃないよ。むしろいいことだと思う。人は、何回も自分でそうやって道を選んで、時に成功して時に失敗して、成長していくんだからさ」
 あまりにさらりと告げられたその言葉に、私はうん、と頷いていた。
「じゃ、これで言いたいことは終わり。あとは若い二人でお楽しみ下さい。蓮も何か言いたいことがあるみたいだし」
 マスターがちらりと視線を飯岡に流す。その視線を追って飯岡の顔にたどり着くと、
「な、なんだよ」
 飯岡が動揺したように言った。
 そこで初めて飯岡の様子がおかしいことに気づいた。はじめに私に演劇をしないかと持ちかけてきたときの生気がまるでない。むしろマイナスのオーラが体中から漂っている。
「その……」
 そこまで口に出してから、その先をどう続けようかと迷った。けれど、結局気の利いた一言などひねり出せるわけもなく、
「どうかした?」
 と私は言った。
 飯岡が下を向いた。上から見下ろしたその顔は、今にも泣き出しそうに見える。
 視界の隅で、マスターがすっとその場を離れていくのが見えた。気を遣ったのだろう、カウンターの奥に消えていく。そしてカフェの中に沈黙が満ちた。
「――もう、どうしていいかわからないんだ」
 しばらくして、飯岡がぼそりと言った。
「なんか、全然うまく行かなくて。あと少ししか時間がない中で、本当に演劇なんかできるのかな、って思ってる」
「どうして?」
 反射的にそう聞くと、飯岡は驚いたように顔をあげた。
「そこを相談しても大丈夫なのか?」
 不安と期待の入り混じった声だった。不安、期待、それはどこから来ているのだろう。私に対する心配だろうか。相談できる安心感からだろうか。
 その答えは、自分のことを思い返すとすぐに分かった。
 今まで私は、相談には乗ると言いつつも、相談されて迷惑な態度しかとってこなかった。
「いいよ!」
 吐き出した声は、どこか怒気を孕んでいる。
 これは、飯岡に対する怒りじゃない。私自身への憤りだ。
 飯岡は呆気にとられたように目を丸くしてこちらを見つめたあと、どこか安心したようにため息をつき、話し始めた。

          ■□■
 
 演劇の台本を自分たちで作って、練習日程を組み始めたころにはすべてがうまくいっていたらしい。
 役者となった人も支える人も、この台本が面白いと本気で思っていて、事実台本は何度読み返しても噴出してしまうほどに面白かった。
 これなら、最高のものができる。そんな確信が、飯岡の中にもみんなの中にもあった。
 試行錯誤しながら演劇を進めていき、少しずつシーンが目に見えてくる。そんな毎日が楽しく、どんどんと演劇の計画は前に進んでいた。
 その歯車が少し狂ったのは、一度全場面を通してみたときのことだった。
 ずっと練習に付き合ってきたクラスメイトの一人が、
「思ってたより笑えない」
 そう呟いたのだ。
 それは、小さな呟きで消えていった。けれども飯岡たちの心の中に一種の不安を残したことは確かだった。
 しかし、台本はいくら読み返しても面白かった。実際自分たちで作っていて、演技をやっている役者自身も爆笑してしまう、そんなシーンもあった。だからこそ、この作品は面白い、最高だ。その考えは変わらなかった。
 次に大きく狂ったのは、一度担任を含め数人の教師に見てもらった時のことだ。
 自分たちが爆笑していた場面のどれ一つとして、期待した笑いは返ってこなかったのだ。クスリとした笑すらない場面もたくさんあった。教師たちが帰ったあと、「なにかがおかしい」と、そうみんなで話し合った。そこででてきたのが、前に「思ったより笑えない」と言っていたクラスメイトだった。
「台本が面白くない」
 それがその人の主張だった。
 その主張は、台本を書いたグループの人たちの逆鱗に触れた。また、ほかのその作品が面白いと思っている人たちもそれに対してよい思いはしなかった。その人が、あまりクラスの中でも社交的なタイプではなかったこともあり、その意見は半ば無視され、演技がかみ合っていないこと、そしてコメディーの対象として教師たちは年齢が高すぎたのではないか、という意見でまとまった。
 しかし、次にそれぞれが知り合いを呼んでみてもらった時にも結果は同じだった。
 自分たちが面白いと思っていたところで、期待した反応が返ってこない。このあとにした話し合いでは、ついに台本が面白くないと主張する人がちらほらと現れ始めた。何が悪いのか――がいつのまにか「誰が悪いのか」の話になり、責任をなすりつける人を探して話し合いは剣呑な雰囲気になる。
 一度頭を冷やして考えてみよう、という飯岡の提案に沿って一度皆別れ、なんとか空気は少し持ち直したものの、気づけば演劇の当日があと数週間にまで近づいている。飯岡をはじめメンバーは盛大に焦った。 
 そんな中で狙ったかのように、作品のヒロイン役を務める女子が事故にあった。
 ――足を折った。全治二か月。
 慌てて代わりにやってくれる人を探しても、こんな雰囲気の演劇に今から加わろうと思ってくれる人は少なかった。役者の中でも分裂し、台本は面白くないと言いつつも直しはされず、役者が足りない。

 ――そんな状況なのだ、と飯岡は言った。

          ■□■

 予想以上にひどい状況だった。いや、今まで予想なんてして来なかったから、わからない。ただ、ひどい状況であることは確かだ。
「ねぇ、飯岡は」
 素朴な疑問が口をついて出た。
「まだ、それでも演劇をやりたいと思ってる?」
 本人がどう考えているのか、聞いてみたかった。私なら、私なら――と考えたところで、中学の時に味わったあの雰囲気が鮮明に蘇ってきて一瞬景色が遠ざかった。頭がクラクラする。
「――自分でもよく分からないんだ。最初にやり始めたときには、絶対にこれはいい企画になる。最後にみんなで楽しく最高の演劇をやって、仲良くなって、ってさ。でも、こんな風になるなら、やらない方がよかったんじゃないか、とも思うし、でもこんなことであきらめてもいいのか、とも思う。ホントにどうしたらいいのかわからないんだ。ただ、分かってるのはこのままじゃいけないことだけで」
 飯岡が無理矢理作ったとわかる笑顔で笑った。
「でも、俺が言い出したんだし、頑張らないとな」
 ――今日は、リフレッシュする。好きなだけここにいていいよ。
 そう言って、飯岡は立ち上がった。
 それを下から見上げながら、私は一つのことを考えていた。
 これはもしかしたら、チャンス?
 頭の中を乱舞する中学の頃の思い出と闘いながら、それが頭から離れなかった。
 私が一度諦めた、挫折したことをやり直すこれはいいチャンスなのではないか。あのとき、私がやめたことのその先を見れるのではないか。
 自分自身と向き合うきっかけになるのではないか。

 ――最後にするかどうか決めるのは紗綾なんだけどね。

 マスターの言葉が耳の奥によみがえる。
 最後にするかどうか決めるのは自分。もしかしたら私は、それを忘れていたのではないだろうか。そう考えると、今までの自分にぴたりと当てはまった。
 自分が行動するときに、常に指標にしていたのは誰かの言葉、誰かの評価だ。将来に向けていくつかの選択肢が目の前に現れたときにも、それを自分で選びとろうとせず、周りに沿って大学への進学に決めた。
 いつか、誰かが自分のするべきこと、進むべき道を教えてくれると信じて、ただやってくるものに対しても自分がしてきたことに対してもあやふやなままでいた。自分で選んだ選択で間違えるのが、もう嫌だった。
 このままでいいのか。 
 そう自分自身に問いかけたときにも、やっぱりそこより先へ進むことはしなかった。
 『私』ってなんなんだろう。私にしかない、私を私たらしめているもの。世界がノーと言っても私だけはイエスと言えるもの。私の中にある、決して否定できないもの。
 そんなものを持っている人なんて、本当にいるのだろうか。本当はみんな『自分』が分からないんじゃないだろうか。――いや、違う。啓はそうじゃない。この学校を休む、という選択をしてまで自分のしたいことを追いかけている。啓には「自分」が見えているのだ。
 なら、私は。私のしたいことは、しなければいけないことは――

「ちょっと、待って」
 言葉が口をついて出た。
「なに?」
 すでに歩きはじめていた、飯岡が振り返る。踏ん切りがつかず「その」と口籠った。
 ダメだ。
 言うべきことは分かっている。このまま悩んだら、また言えなくなってしまう。
 後先を考えずにとりあえず私は、口を開いた。胸の中から言葉を押し出すと、その先は一瞬だった。

 ――そのヒロイン役、やるよ。

 飯岡がぽかんと口をあけたのが見えた。私は激しく高鳴っている胸を押さえながら、もう一度その言葉を繰り返した。
それは、飯岡に言っているというより、自分に言っているという方が近かった。
 これでいい。
 もう一度演劇をやって、前の失敗に区切りをつけよう。そして、新しい一歩を踏み出すんだ。







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